暴君オルフェーブルはなぜ強い?凱旋門賞に勝てた?

暴君オルフェーブルはなぜ強い?凱旋門賞に勝てた?

複勝ネキ

日本最強馬の候補として今でも語り継がれる暴君オルフェーブルの強さについてご紹介します。

オルフェーブルはなぜ強いと言われる?

オルフェーブルは2010年8月の2歳新馬戦に勝利後、芙蓉S2着、京王杯2歳S10着、日刊スポシンザン記念2着、きさらぎ賞3着と勝ちきれないレースが続きますが、皐月賞、東京優駿、菊花賞、有馬記念まで連勝を重ね、年度代表馬に選出されました。

2013年に引退するまでに6つのG1レースに勝利し、歴代3位タイ(2024年7月現在)のG1勝利数を記録しました。

※1位はアーモンドアイの9勝

後方から黄金の末脚で他馬をごぼう抜きする姿から、「歴代最強の馬」と評価する方も少なくありません。

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歴代最強馬ランキングでは、イクイノックスやディープインパクトらと共に上位にランクインする常連
たびたび「ディープインパクトとオルフェーブルどっちが強い」と議論されているよ
獲得賞金はオルフェーブルが上回っているけど、「ディープの方が強い」という意見が多いみたいだね

オルフェーブルの伝説・逸話

金色の暴君

オルフェーブルは父ステイゴールドと同じく気性が荒く、その激しさから「金色の暴君」と呼ばれました。

新馬戦ではレース中に斜行、勝利後も鞍上の池添騎手を振り落とし、記念撮影が中止になるなどやりたい放題。

カッとなると騎手の言うことを聞かなくなり、自分より前を走られるのを嫌っていたそうです。

逆に言うと競走馬向きの性格とも言えますね。

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その他にも「暴れん坊将軍」「激情の三冠馬」という異名が付けられているよ

阪神大賞典の急ブレーキからの劇的な展開

現在でも語り草になっているのが2012年の阪神大賞典。

スタート直後から折り合いを欠いたオルフェーブルは、2角過ぎに先頭に立ってしまうが、2周目3角手前で急ブレーキを欠け外ラチ沿いへ逸走。

故障を疑った観衆からどよめきの声が上がりましたが、その後はレースに復帰。

もう1度ギアを上げたオルフェーブルは順位を上げ、直線に入る頃には先頭グループに立ち、2着でゴールイン。

負けはしたものの、オルフェーブルの強さが際立ったレースになりました。

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優勝したギュスターヴクライに騎乗した福永騎手が「え?オルフェーブル?」と2度見したことも印象的
「戻るんかい!」とツッコミを入れた人も多いと思うよ

いじめられっ子

オルフェは遅生まれなので周りに比べて
馬体が小さかったので馬鹿にされてたん
じゃないですかね
引用:Yahoo知恵袋

オルフェーブルは遅生まれで、馬体の小ささから他馬からいじめられていた、というエピソードがあります。

ただし、これに関しては明確なソースがなく、あくまで噂レベルの話ですw

「他馬より小柄だから馴染むまでに時間がかかった」というエピソードが、「他馬より小柄だからいじめられていた」というエピソードにすり替わった可能性がありますw

オルフェーブルは凱旋門賞に勝てた?

オルフェーブルは2012年開催の第91回と2013年開催の第92回の凱旋門賞に出走しています。

特に惜しかったのが2012年開催の第91回。

直線で大外から一気にかわすその姿を見て、誰もが勝利を確信しました。

しかし、内ラチ際まで大きくよれて失速、最後はソレミアに差され2着に終わりました。

  • スミヨンの仕掛けが早すぎた
  • 最後の斜行のロスがなければ勝てた
  • 勝った馬が強すぎた
  • 池添に乗ってほしかった

という意見も多く、「いつか勝ちそうな気がしてレース動画を毎日見てる」という人もいるほど惜しいレースでした。

確かにオルフェーヴルの敗戦は騎乗ミスであったことは陣営が認めています。ですが、スミヨン騎手でなければ2着どころか着外であった可能性の方が高いです。
最後の直線でヨレるまでは完璧な競馬を出来ていましたが、これは間違いなくスミヨン騎手のおかげです。池添騎手を乗せていれば~という人は、”序・中盤はどうだったか”を省いて考えてしまっています。
引用:Yahoo知恵袋

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「外から栗毛の馬体が来たぞー!ニッポンのオルフェーブルだー!」という実況を聞くたびに涙ぐんでしまう

まとめ

引退後のオルフェーブルは種牡馬となり、ドバイワールドカップを制したウシュバテソーロや、大阪杯、エリザベス女王杯を制したラッキーライラック、皐月賞を制したエポカドーロなどの名馬を輩出しています。

産駒の今後の活躍に期待しましょう。

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いつかオルフェーブル産駒が凱旋門賞を制してほしいね